夏のきわまりと佳代

 

元を正せば1ヶ月前、夫が救急車で搬送されたのが事の始まり。

とか書くと少々ドラマチックだけど、そんな話、今は置いといて  恋とライナーノーツについて話をしたい。

 

 

『人はいつから、ライナーノーツを読み込まなくなるのだろう?』

 

 

私はものすごく音楽が好きというわけではない。

ただそれなりに学生時代はバイト代で買ったipodに好きな曲を詰め込んで通学し

人並みにタワレコに通い(no music no life とか若干思ってた)

ゆずの名古屋公演に足繁く通い、ごくたまにライブハウスに行ったりしていた。

 

その程度だったけど、たまに訪れる「この人天才!!!」みたいな出会いが音楽を介してだった場合、

雑誌のインタビューを読み漁ったりラジオに耳を傾けたり

ライナーノーツを読みながらアルバムを聴いてひたひたと浸かってみたりすることは度々あった。

そうやって「この曲はどんな思いで作られたのか」とかを知る都度、

共感したり、自分を否定されたような気分になったり、背伸びしたり、時にその人が好きな他の作品に触れに行ったりしながら、もっとその人を知りたいし理解したいと感じていた。

 

しかしここ最近「この人天才!!!」と思ったらYoutubeでMVを観て(そのコメント欄なんぞを読み)、

SNSを遡って、そこで満足してしまう。

 

そんな自分になってしまったのだ!!!

 

これはきっと怠惰なんだろうと思う。

音楽を介して受けた衝撃を、YoutubeとSNSでぶよぶよした何かに変えて

自分の都合の良いようにして隣に置いてしまう。

背伸びとか、深く知りたいとか、そういうのが無くなってしまったのだ!!!

これは時代のせいとかじゃない、自分のパッションが失われたせいだと思う。

 

パッションって、たぶん恋だから。

 

ということで、久しぶりにライナーノーツな出会いが、一方的な出会いがあったよってハナシ!

子どもに「しまさん病」って言われてるけど、本当にこの恋は病だし

これに関しては甘い病(あまいやまい)。

ポエミーーーーーーーー!!!

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